素晴らしき世界で賽を振れ

NEWSと嵐と私。アイドルだって人間だもの。頑張っている人からパワーをもらって生きて行く。

ARASHI BLAST in Miyagiの開催意義

9月23日最終日、幸運なことに参戦してきました。

LOVEツアーぶりの参戦。ここ数年で爆発的に増えた会員数。チケットの取りにくさ。ファン層の変化(私が言えたことではないかもしれませんが)。嵐を取り巻く環境の変化。そんな中、宮城県知事からの誘致とはいえ、この時期にBLASTと銘打って宮城県で開催する意義ってなんだろう…なんて思いながら参戦してきました。

 

私は被災三県の出身です。三県中、一番南の県。

3月11日、あの日は地元(内陸部)にいたため津波や市街地の被害状況を知ったのは、仕事を終えて帰宅して見たテレビでした。地震発生時はあまりにも強い揺れに「このまま職場の建物が崩れて死んでしまうのではないか」と思いました。揺れがおさまってからは、被害状況や市街地の見回り、人々の無事かどうかの確認で沿岸部の被害を知る事もできませんでした。

我が家へ帰宅して見たテレビには、本当に信じられない様な光景が映し出され、同じ県、同じ東北地方で起きている事だと信じたくない、そんな思いでした。言葉で綴っていますが、あの時も今も、実際に津波の被害を目の当たりにしていない私が言葉で当時の被害について書く事は憚られる思いです。

地震の被害、津波の被害、原発の被害。そんな苦労の中、何とか震災後を生きてきた東北の人々。震災から4年が経ち、「震災を風化させない」と言いつつも、世間的にはどこか少しづつ過去の事になってきている気がしていました。全国ニュースで取り上げられるニュースにも偏りが出てきて、「あぁ、県外の人はこんな風に見ているんだ」「気になるのは原発放射線量か」「他にもまだまだ気にして欲しい事はたくさんあるのにな」などと、何とも言えない気持ちになっていました。

 

私自身、嵐やジャニーズ事務所が、震災について4年の歳月が経過した今の段階で、どの程度の思いがあって宮城での開催を決定したのか読み取れなかったし、そこまでの想いや考えがあるとは思っていなく、どこか斜に構えていました。

 

だから会場までの道中、開場してからの席で、どこか冷静に見ている自分がいて「ファン層も若干いつもと違うな」とか「この人達は初めて参戦するんだろうな」とか、色んな事を思いました。「もしかしたらこのコンサートが私にとって最後の嵐コンになるかもしれない」なんて考えも過りました。

でも、開演して嵐5人を目の当たりにすると、やっぱり楽しい。終わるのが寂しい。そして私自身が今までで一番自由に楽しめたコンサートだったように思います。

 

そして終盤。5人の挨拶。

「もう二度とあんな悲しい思いはしたくないから」と、何度も言う翔サン。

泣きそうになりながら話すまつもっさん。「コンサートで宮城にやっとこれた」と。

私としては状況がつかめず、「どうしたのかな?」なんてノンキに挨拶を聞いていたんですが、家に帰り着きツイのTLで目にしたツィートに、はっとさせられました。

以下、ニュアンスで文面変えますが引用させてもらいます。

 

アリーナに遺影を持ったご家族がいた。

遺影は小学生くらいの子。

笑っている遺影の写真と一緒に、チケットと翔サンの写真が入っていた。

トロッコで通りかかった松本氏がそれに気がつき頷くと、ご家族皆さん泣かれていた。

「ありがとう」といって泣くお母さん。

周りのお客さんもつられて泣いた。

翔サンが通ったとき、遺影に気がつく。

遺影をずっと見つめていた。

 

この一連のやり取りがあったのは挨拶前。

それを受けた2人のあの挨拶。

ココに、嵐が宮城でコンサートを開催した意義が集約されているんじゃないかと思います。

 

遺影を持ったご家族と同じ思いで、それぞれに傷を持った人達が、きっとあの会場には沢山来ていたんじゃないかな。私も浅い傷かもしれないけれど、その一人です。まだ収束しない原発。進まない復興。日頃から色々な事に気を使って生活しています。以前のようには戻れない。

そんな我々に、5人はこんなにもまだ目を向けてくれていて、一緒に歩いてくれようとしている。その事に気がついていなかったのは私の方で、変に気を張っていた自分が浅はかで5人に申し訳ない。

そして、5人が被災地の事をこんなにも思っていてくれている事を、全国各地から来場したファンの皆さんに分かってもらえた。

たしかにいつものコンサートよりも、来場者もレスポンスも、ちょっと違ったかもしれないけれど、これが宮城で開催したARASHI BLASTなんだと、今は素直に思えます。

 

「嵐が好き、だからコンサートに行く」

「嵐が来る、じゃあコンサートに言ってみよう」

 

この二つの考えは、かなり違うと思います。

今回のARASHI BLAST in Miyagiは後者の方も多かったのではないかと勝手に思っています。でも、それもアリだったのかな、と。ARASHI BLAST in Miyagiに関しては、震災の復興支援という側面からも、「嵐が来る、じゃあコンサートに言ってみよう」そして、「行ってみたら楽しかった!」と言う展開もアリなんじゃないかと。

 

これがニノが挨拶で話していた

「色々考えることはあるけれど、考えていいけれど、何も考えない日も必要だと感じて欲しい。その方が楽しいから。今日ぐらいは。楽しかったね、って終わる日があってもいいんじゃないかな」

って事に繋がるのではないかと思います。この挨拶を聞いた時、私はアリーナで起きていた一連の流れを知らなかったので、そんなに深い意味があるのも知らずにいました。

 

苦しんでいる、それも分かっている、でも楽しんで欲しい。今日一日くらいは。

 

その言葉に甘えてイイ。だから、色んな人が来場して楽しむことができた。

旧来のファンも、初めてきた人も、皆一緒に楽しめた。楽しめるように嵐がしてくれた。

それで良くて、ARASHI BLAST in Miyagiにとってはその結果が何よりも大きな収穫なんじゃないかと思います。

 

「また開催したい」と、言っていたから。きっとまた何らかのカタチで東北に来てくれると確信しています。昔とは立ち位置も状況も違う5人だけど、だからこそやってくれちゃうんじゃないかと。

今回のコンサートで、「ああ、前よりも5人はさらにもう一段高いステージ(芸能界での立ち位置)に立っているな」なんて思いました。前はそれがちょっと寂しくもありましたが、今回のコンサートでの5人を見て、その変化を素直に受け入れることができたように思います。

 

 

楽しい思い出とたくさんの愛を、東北に届けてくれてありがとう。

またいつかの機会に東北で会えますように。